ごちそうさんの感想追加(107)藤井の問題 [連想]
2014年2月7日(金曜日)放送分
第18週「乳の教え」(第107回)の感想の追加です。
藤井ネタを書くのを忘れてたのに気がついたので、追加します。
ベニ子(め以子のぬか床)(宇野トラ)に思いを寄せる藤井だが、悠太郎や大村からはあまり大事にされていない。
まあ、それなりに付き合ってはいるが、かなり軽んじられている。
今日も3人で飲み屋に一緒に行くが、大村は持ち込みの昆布を悠太郎にはあげるが、藤井には与えない。
悠太郎も愚痴を言う藤井と話をする気は無く、開けっぴろげに藤井の話を遮って、大村との話を続ける。
遮られた藤井の話から、藤井家の問題が世代交代を遂げていることがわかる。
配給米が七分づきなのを精米するかどうかを藤井の嫁と娘婿が言い争っているらしい。
以前の藤井の愚痴は、自分の妻と母親との嫁姑問題だった。
今の藤井の愚痴は、息子の嫁と自分の妻との嫁姑問題だ。
悠太郎も当初は、め以子と和枝の嫁小姑問題を愚痴っていた。
しかし、今ではそんな愚痴は言わない。
一応の解決を得ているからだ。
ところが、藤井はおそらく、飲み屋で延々と嫁姑問題の愚痴を言い続けているのだ。
愚痴を言うと、また愚痴を言いたくなるような事件が起こるらしい。
つまり、嫁姑問題の愚痴を言う藤井の言葉(言霊の効果)によって、さらに次の嫁姑問題が勃発するという話だ。
その考えに立つと、今回の藤井の妻と娘婿の嫁姑問題は、藤井の愚痴によってもたらされたと考えられる。
藤井は、自分の妻と自分の母との嫁姑問題を愚痴を言わずに、解決しておけば今の問題は発生していない。
前回解決しておけば、もう解決方法を知っているのだから、今回も解決できるのだ。
スピリチュアル的に言えば、前回解決しておけば、そのそもその問題はもうクリアされているのだから、もうそのレベルの試練は与えられることが無いのだ。
とは言え、次のレベルの試練が次々と与えられるので、同じといえば同じ事なのだが・・・
ただ、悠太郎や大村に軽んじられるような状態では無くなっている可能性が高いと思うのだがどうだろうか?
しかし、悠太郎にしても嫁小姑問題を解決したのはめ以子である。
悠太郎は何もしていないといってもいい。
もっと、藤井を大切にしてやっても良いだろうに・・・
(^_^;)
ガンバレ 藤井!
ガンバレ 木本武宏!
(^_^)/~
第18週「乳の教え」(第107回)の感想の追加です。
藤井ネタを書くのを忘れてたのに気がついたので、追加します。
ベニ子(め以子のぬか床)(宇野トラ)に思いを寄せる藤井だが、悠太郎や大村からはあまり大事にされていない。
まあ、それなりに付き合ってはいるが、かなり軽んじられている。
今日も3人で飲み屋に一緒に行くが、大村は持ち込みの昆布を悠太郎にはあげるが、藤井には与えない。
悠太郎も愚痴を言う藤井と話をする気は無く、開けっぴろげに藤井の話を遮って、大村との話を続ける。
遮られた藤井の話から、藤井家の問題が世代交代を遂げていることがわかる。
配給米が七分づきなのを精米するかどうかを藤井の嫁と娘婿が言い争っているらしい。
以前の藤井の愚痴は、自分の妻と母親との嫁姑問題だった。
今の藤井の愚痴は、息子の嫁と自分の妻との嫁姑問題だ。
悠太郎も当初は、め以子と和枝の嫁小姑問題を愚痴っていた。
しかし、今ではそんな愚痴は言わない。
一応の解決を得ているからだ。
ところが、藤井はおそらく、飲み屋で延々と嫁姑問題の愚痴を言い続けているのだ。
愚痴を言うと、また愚痴を言いたくなるような事件が起こるらしい。
つまり、嫁姑問題の愚痴を言う藤井の言葉(言霊の効果)によって、さらに次の嫁姑問題が勃発するという話だ。
その考えに立つと、今回の藤井の妻と娘婿の嫁姑問題は、藤井の愚痴によってもたらされたと考えられる。
藤井は、自分の妻と自分の母との嫁姑問題を愚痴を言わずに、解決しておけば今の問題は発生していない。
前回解決しておけば、もう解決方法を知っているのだから、今回も解決できるのだ。
スピリチュアル的に言えば、前回解決しておけば、そのそもその問題はもうクリアされているのだから、もうそのレベルの試練は与えられることが無いのだ。
とは言え、次のレベルの試練が次々と与えられるので、同じといえば同じ事なのだが・・・
ただ、悠太郎や大村に軽んじられるような状態では無くなっている可能性が高いと思うのだがどうだろうか?
しかし、悠太郎にしても嫁小姑問題を解決したのはめ以子である。
悠太郎は何もしていないといってもいい。
もっと、藤井を大切にしてやっても良いだろうに・・・
(^_^;)
ガンバレ 藤井!
ガンバレ 木本武宏!
(^_^)/~
ごちそうさん 感想 83 あらすじ 悠太郎が怪我、亜貴子との再会、ふ久〜戦争がなくならない理由 [連想]
2014年01月10日(金曜日)放送分
第14週「アイスる力」(第82回)のあらすじと感想です。
<あらすじと感想>
【悠太郎】
悠太郎は、アーチを二重構造にして水漏れを防ぐ事に決める。
だが、土木の石川公之助(長江健次)は度重なる苦労にへそを曲げて首を縦に振らない。
二人がもみ合った際に、丸太が悠太郎に倒れ落ちる。
悠太郎は頭から血を流しながらも石川を説得しようとするが、病院に運び込まれる。
ところが、病院に行くと担当の医者が、何故か亜貴子だ。
【亜貴子】
東京で会った頃の亜貴子は苗字が村井だったが、今日の亜貴子は松田になっている。
結婚したのか、離婚したのか?
流れ上は、前は結婚していたが、今は離婚していて、悠太郎とややこしい事になりそうな気配だ?
【希子】
ストーカーに恐怖したはずの希子は、帰宅しても怯えておらず、どちらかと言うと機嫌が良いような印象だ。
川久保啓司に家まで送ってもらってルンルンという流れかな?
【め以子】
め以子は、ふ久から昨夜『お母ちゃんの作ったアイスクリンが食べたい』と言われて、有頂天。
どんなアイスクリンを作るか計画に没頭している。
翌日、子供たちを巻き込んで、皆でアイスクリンを作る。
活男からのリクエストで納豆入りのアイスクリンまで作ってしまう。
【ふ久】
ふ久は『おいしい』という事がどういう意味なのかがわかっていなかったようだ。
今まで、め以子が美味しいと思うものばかりを食べさせられてきたので、美味しくないものを食べたことがなかった。という事らしい。
『おいしくない』ものを食べたことがないので、比較対象が無いので『おいしい』の意味がわからなかったという。
この話は、実はかなり深い問題だと思う。
【戦争がなくならない理由】
人は、今よりも、もっと良いモノをつくろうとする。
今よりも、もっと幸せになろうとする。
例えば、戦後の焼け野原であれば食べ物が手に入らない。
毎日食べるものに困らない生活を夢見て努力する。
その結果、今の世の中が出来上がる。
今では、ほとんど誰も『明日食べる米が無い』などといった経験が無い。
ちゃんと働かなくてもニートとして充分生きていける。
極端に言えば、ホームレスでもゴミ箱を漁れば、金持ちが食べる豪華な料理でも食べることができる。
(料亭のゴミ箱を漁れば良い。残飯でも味は同じだ。)
ん?
話がずれたかな?
戦争を体験すれば、戦争の悲惨さを身にしみる。
戦争の無い世界を夢見る。
そして『戦争放棄』を憲法にうたう。
当時は過半数の人が『良い憲法だ』と考えていただろう。
ところが、戦争を知らない子供たちが大人になる。
日本では戦争が無いが、世界中から戦争がなくなった事は、今まで一度もない。
世界平和の為に、日本はお金を出す。
軍隊が無いので自衛隊を派遣する。
他の国々は軍隊を出して、死傷者が沢山出る。
自衛隊しかない日本は危険な地帯には人を派遣せず、悪い敵国の兵士を殺したり、自分達が殺されたりしないようにしている。
安全なところで、お金だけしか出さないので負い目を感じる日本人が出てくる。
世界からバカにされていると感じる人が増えてくる。
さらに、平和ボケしている日本では毎年、3万人もの人が生きがいを無くして自殺している。
「何故、日本は軍隊を持たないのだ?」
「世界平和の為には、日本は軍隊を持つべきだ。」
ところが、戦争放棄をうたう前の日本も、侵略を目的に戦争をしていたワケでは無い。
白人の侵略から世界(アジア)を守るために戦争をしていたのだ。
当時の日本人がバカだったから、いつの間にか平和の為の戦争から侵略の為の戦争になったのではない。
どちらかと言えば、あきらかに今の日本人の方がバカだろう。
そんな日本人が憲法改正を叫ぶ。
根本的な違いは、スタート地点の違いだと思う。
戦争で親兄弟が死に、焼け野原になった日本をスタートに考えるか、平和ボケして毎年3万人もの自殺者が出ている日本をスタートに考えるかだ。
「天皇陛下バンザイ!」と叫んでお国のために死んでいくのと、生きる希望を失ってビルから飛び降りて自殺するのと、どちらの人生を幸せだと感じるかだ。
戦後生まれの私の感覚で、二者択一ならば「天皇陛下バンザイ!」の方が断然幸せだ。
二者択一でなければ、いつものように夜に眠って、ある朝、目が覚めずに死んでるのが良い。
ん?
やっぱり話がずれたかな?
そうそう、ふ久が、『おいしい』がわからなかったという事だった。
『おいしくない』モノを食べた経験が無ければ、『おいしい』という事がわからない。
『戦争の悲惨な体験』が無ければ、今の『平和の幸せ』さがわからない。
という事だ。
でもそれはある程度は仕方がない事なのだろうと思う。
各人にとって自分の感じることは現実だからだ。
結局、各自が自分なりの最善を尽くすしか無いのだろう・・・
第14週「アイスる力」(第82回)のあらすじと感想です。
<あらすじと感想>
【悠太郎】
悠太郎は、アーチを二重構造にして水漏れを防ぐ事に決める。
だが、土木の石川公之助(長江健次)は度重なる苦労にへそを曲げて首を縦に振らない。
二人がもみ合った際に、丸太が悠太郎に倒れ落ちる。
悠太郎は頭から血を流しながらも石川を説得しようとするが、病院に運び込まれる。
ところが、病院に行くと担当の医者が、何故か亜貴子だ。
【亜貴子】
東京で会った頃の亜貴子は苗字が村井だったが、今日の亜貴子は松田になっている。
結婚したのか、離婚したのか?
流れ上は、前は結婚していたが、今は離婚していて、悠太郎とややこしい事になりそうな気配だ?
【希子】
ストーカーに恐怖したはずの希子は、帰宅しても怯えておらず、どちらかと言うと機嫌が良いような印象だ。
川久保啓司に家まで送ってもらってルンルンという流れかな?
【め以子】
め以子は、ふ久から昨夜『お母ちゃんの作ったアイスクリンが食べたい』と言われて、有頂天。
どんなアイスクリンを作るか計画に没頭している。
翌日、子供たちを巻き込んで、皆でアイスクリンを作る。
活男からのリクエストで納豆入りのアイスクリンまで作ってしまう。
【ふ久】
ふ久は『おいしい』という事がどういう意味なのかがわかっていなかったようだ。
今まで、め以子が美味しいと思うものばかりを食べさせられてきたので、美味しくないものを食べたことがなかった。という事らしい。
『おいしくない』ものを食べたことがないので、比較対象が無いので『おいしい』の意味がわからなかったという。
この話は、実はかなり深い問題だと思う。
【戦争がなくならない理由】
人は、今よりも、もっと良いモノをつくろうとする。
今よりも、もっと幸せになろうとする。
例えば、戦後の焼け野原であれば食べ物が手に入らない。
毎日食べるものに困らない生活を夢見て努力する。
その結果、今の世の中が出来上がる。
今では、ほとんど誰も『明日食べる米が無い』などといった経験が無い。
ちゃんと働かなくてもニートとして充分生きていける。
極端に言えば、ホームレスでもゴミ箱を漁れば、金持ちが食べる豪華な料理でも食べることができる。
(料亭のゴミ箱を漁れば良い。残飯でも味は同じだ。)
ん?
話がずれたかな?
戦争を体験すれば、戦争の悲惨さを身にしみる。
戦争の無い世界を夢見る。
そして『戦争放棄』を憲法にうたう。
当時は過半数の人が『良い憲法だ』と考えていただろう。
ところが、戦争を知らない子供たちが大人になる。
日本では戦争が無いが、世界中から戦争がなくなった事は、今まで一度もない。
世界平和の為に、日本はお金を出す。
軍隊が無いので自衛隊を派遣する。
他の国々は軍隊を出して、死傷者が沢山出る。
自衛隊しかない日本は危険な地帯には人を派遣せず、悪い敵国の兵士を殺したり、自分達が殺されたりしないようにしている。
安全なところで、お金だけしか出さないので負い目を感じる日本人が出てくる。
世界からバカにされていると感じる人が増えてくる。
さらに、平和ボケしている日本では毎年、3万人もの人が生きがいを無くして自殺している。
「何故、日本は軍隊を持たないのだ?」
「世界平和の為には、日本は軍隊を持つべきだ。」
ところが、戦争放棄をうたう前の日本も、侵略を目的に戦争をしていたワケでは無い。
白人の侵略から世界(アジア)を守るために戦争をしていたのだ。
当時の日本人がバカだったから、いつの間にか平和の為の戦争から侵略の為の戦争になったのではない。
どちらかと言えば、あきらかに今の日本人の方がバカだろう。
そんな日本人が憲法改正を叫ぶ。
根本的な違いは、スタート地点の違いだと思う。
戦争で親兄弟が死に、焼け野原になった日本をスタートに考えるか、平和ボケして毎年3万人もの自殺者が出ている日本をスタートに考えるかだ。
「天皇陛下バンザイ!」と叫んでお国のために死んでいくのと、生きる希望を失ってビルから飛び降りて自殺するのと、どちらの人生を幸せだと感じるかだ。
戦後生まれの私の感覚で、二者択一ならば「天皇陛下バンザイ!」の方が断然幸せだ。
二者択一でなければ、いつものように夜に眠って、ある朝、目が覚めずに死んでるのが良い。
ん?
やっぱり話がずれたかな?
そうそう、ふ久が、『おいしい』がわからなかったという事だった。
『おいしくない』モノを食べた経験が無ければ、『おいしい』という事がわからない。
『戦争の悲惨な体験』が無ければ、今の『平和の幸せ』さがわからない。
という事だ。
でもそれはある程度は仕方がない事なのだろうと思う。
各人にとって自分の感じることは現実だからだ。
結局、各自が自分なりの最善を尽くすしか無いのだろう・・・
ごちそうさん 感想 77 あらすじ 足尾銅山鉱毒事件&大晦日に産気付くめ以子 [連想]
2013年12月27日(土曜日)放送分
第13週「ふくが来た!」(第77回)のあらすじと感想です。
<あらすじと感想>
サブタイトル『足尾銅山鉱毒事件:田中正造と西門正蔵の謎』
12月31日の大晦日の日、男達は餅つきに、女達はお節料理に大あらわ。
め以子と、希子はお節を重箱に詰めて、正蔵の所に持っていった。
正蔵は少し早いご祝儀(お年玉)をめ以子に渡す。
め以子は断わろうとするが、お腹の子供へのお年玉だと言われ、ありがたく受け取る。
その帰り道に、染丸と源太を見かける。
二人でお伊勢参りに行くと言っていた二人がここにいることをいぶかしむめ以子。
源太に淡い恋心を抱く希子は、染丸と源太が良い仲だと聞かされて少しショックを受ける。
が、突然め以子が産気づいたのでそれどころではなくなる。
め以子は希子に付き添われ、苦しみながらも自力で家まで帰る。
すると、家には突き立てのお餅が広げられている。
苦しむめ以子を見て、一同がパニックにおちいる中、イクが場を仕切り、湯太郎に産婆を呼びに行かせる。
冷や汗を流し、苦しみながらも、め以子はモチを食べる。
め以子の食い意地に感動して大五は言う。
「(つきたてのお餅が食べれるのは)今しかねぇもんな。」
私の脳裏には長渕剛の『西新宿の親父の唄』が流れている。
♪ 食うなら今しかねぇ〜!
食うなら今しかねぇ!
大晦日のつき立てのぉ
お餅は〜
食うなら今しかねぇ〜!!
本物の歌はこちらです。↓
(この動画、著作権大丈夫なんかな?)
(^_^;)
め以子は、産婆とイクに付き添われて二階で出産の準備にかかる。
しかし、正蔵に貰ったご祝儀が気にかかり、包を開いてみると手紙が入っている。
め以子は、正蔵の異変に気が付き、息も絶え絶えに手紙を悠太郎に託す。
手紙は正蔵の懺悔のような内容だ。
悠太郎は月明かりの下、長い手紙を読む。
手紙によると、正蔵は鉱山で主に銅の精錬の仕事をしていたらしい。
日清、日露戦争に勝った日本の軍備は銅で整えたと言われるぐらい、銅は日本の基幹産業だったらしい。
正蔵は、自分の仕事に誇りを持っていたが、徐々に鉱毒の被害が周辺の村で発生したらしい。
川には魚がいなくなり、作物も実らない。
山は草木が枯れて禿山になって、土砂崩れを起こし、子供も血を吐いて次々に死んでいった。
正蔵は、それらの抗議の団体に対して、立ち退き要請や、土地の買い上げを任されるようになった。
目の前で、咳込み血を吐く子供。
村人から「人殺し!」と罵られる。
そんな状況の時に、妻(悠太郎の母)が亡くなった。
それで『渡りに船』とばかりに鉱山から逃げ出したのだという。
しかし、逃げ込んだ先の家族からも、さらに逃げ出すことになってしまった。
ある日、自分が逃げ出した事と引き換えに、何か生きている価値のようなものを失ってしまった事に気が付いた。
どれだけ注意しても過ちに前もって気付くことは出来ない。
しかし、過ちを犯した後に、どう生きるかを選ぶことはできる。
ただただ逃げ続ける人生だった私を反面教師として、悠太郎とめ以子には、そんな自分のような人間にはならないで欲しい。
生まれてくる子供に、輝く未来と、豊かな誇りを与える人であってください。
・・・といった内容だ。
悠太郎は手紙を握りしめて走りだす。
正蔵の長屋に辿り着いた悠太郎は、いつもと違う雰囲気を感じる。
恐る恐る扉を開けると・・・
つづく・・・
ふんふん。
となると、遺言で送られてきた髪の毛の束は、正蔵の目の前で血を吐いた子供の形見だな。
その親も死んで、無念の呪いを送り付けてきたのだろう。
昨日まで想像してたのと全然違いました。
すいません。
m(__)m
正蔵はもうちょっとカッコいいイメージかと思ってたのに、とことん情けないキャラでした。
昔、片岡鶴太郎が、モノマネしてた頃の近藤正臣のイメージの影響だな。
「コンドーです!」
(^_^;)
懲りずに先読みを続けてみます。
悠太郎の見たものは、自殺しようとしている正蔵の姿だ。
悠太郎は正蔵を助けて、
「逃げんなや!」
と叫ぶ。
確か先週末の予告にチラッと流れたシーンがそれだ。
一命を取りとめた正蔵は、鉱毒問題と正面から向き合い、被害を無くす為の活動を始める。
銅から鉄へと変わりつつある時代だ。
なんとかなる。
銅の鉱山は廃止され、遅ればせながら、村は回復の兆しを見せる。
正蔵は罪滅ぼしの為に、四国八十八箇所のお遍路の旅に出る。
これでどうだ!
・・・ん?
そう言えば、昔、社会科で『足尾銅山鉱毒事件』というのを習ったことを思い出したぞ。
<ウィキペディアより>
1890年代より栃木の政治家であった田中正造が中心となり国に問題提起するものの、精錬所は1980年代まで稼働し続け、2011年に発生した東北地方太平洋沖地震の影響で渡良瀬川下流から基準値を超える鉛が検出されるなど、21世紀となった現在でも影響が残っている。
ゲゲッ!
全然解決してねぇじゃん。この問題。
待てよ。
死んだ人って、名前が中田さんだったな。
完全に田中正造を意識しているじゃんか!
<ウィキペディアより>
田中 正造(たなか しょうぞう、天保12年11月3日(1841年12月15日) - 1913年(大正2年)9月4日)
ほほ〜。
田中正造自体は、1913年に死んでる。
つまり、『ごちそうさん』の今より10年前に死んでいる。
あ。
正蔵が仕事を辞めた時だ。
正造が死んで、正蔵が辞めた。
なんだか、こんがらがってきたぞ。
というワケで、後は皆さんで考えてください。
(^_^)/~
第13週「ふくが来た!」(第77回)のあらすじと感想です。
<あらすじと感想>
サブタイトル『足尾銅山鉱毒事件:田中正造と西門正蔵の謎』
12月31日の大晦日の日、男達は餅つきに、女達はお節料理に大あらわ。
め以子と、希子はお節を重箱に詰めて、正蔵の所に持っていった。
正蔵は少し早いご祝儀(お年玉)をめ以子に渡す。
め以子は断わろうとするが、お腹の子供へのお年玉だと言われ、ありがたく受け取る。
その帰り道に、染丸と源太を見かける。
二人でお伊勢参りに行くと言っていた二人がここにいることをいぶかしむめ以子。
源太に淡い恋心を抱く希子は、染丸と源太が良い仲だと聞かされて少しショックを受ける。
が、突然め以子が産気づいたのでそれどころではなくなる。
め以子は希子に付き添われ、苦しみながらも自力で家まで帰る。
すると、家には突き立てのお餅が広げられている。
苦しむめ以子を見て、一同がパニックにおちいる中、イクが場を仕切り、湯太郎に産婆を呼びに行かせる。
冷や汗を流し、苦しみながらも、め以子はモチを食べる。
め以子の食い意地に感動して大五は言う。
「(つきたてのお餅が食べれるのは)今しかねぇもんな。」
私の脳裏には長渕剛の『西新宿の親父の唄』が流れている。
♪ 食うなら今しかねぇ〜!
食うなら今しかねぇ!
大晦日のつき立てのぉ
お餅は〜
食うなら今しかねぇ〜!!
本物の歌はこちらです。↓
(この動画、著作権大丈夫なんかな?)
(^_^;)
め以子は、産婆とイクに付き添われて二階で出産の準備にかかる。
しかし、正蔵に貰ったご祝儀が気にかかり、包を開いてみると手紙が入っている。
め以子は、正蔵の異変に気が付き、息も絶え絶えに手紙を悠太郎に託す。
手紙は正蔵の懺悔のような内容だ。
悠太郎は月明かりの下、長い手紙を読む。
手紙によると、正蔵は鉱山で主に銅の精錬の仕事をしていたらしい。
日清、日露戦争に勝った日本の軍備は銅で整えたと言われるぐらい、銅は日本の基幹産業だったらしい。
正蔵は、自分の仕事に誇りを持っていたが、徐々に鉱毒の被害が周辺の村で発生したらしい。
川には魚がいなくなり、作物も実らない。
山は草木が枯れて禿山になって、土砂崩れを起こし、子供も血を吐いて次々に死んでいった。
正蔵は、それらの抗議の団体に対して、立ち退き要請や、土地の買い上げを任されるようになった。
目の前で、咳込み血を吐く子供。
村人から「人殺し!」と罵られる。
そんな状況の時に、妻(悠太郎の母)が亡くなった。
それで『渡りに船』とばかりに鉱山から逃げ出したのだという。
しかし、逃げ込んだ先の家族からも、さらに逃げ出すことになってしまった。
ある日、自分が逃げ出した事と引き換えに、何か生きている価値のようなものを失ってしまった事に気が付いた。
どれだけ注意しても過ちに前もって気付くことは出来ない。
しかし、過ちを犯した後に、どう生きるかを選ぶことはできる。
ただただ逃げ続ける人生だった私を反面教師として、悠太郎とめ以子には、そんな自分のような人間にはならないで欲しい。
生まれてくる子供に、輝く未来と、豊かな誇りを与える人であってください。
・・・といった内容だ。
悠太郎は手紙を握りしめて走りだす。
正蔵の長屋に辿り着いた悠太郎は、いつもと違う雰囲気を感じる。
恐る恐る扉を開けると・・・
つづく・・・
ふんふん。
となると、遺言で送られてきた髪の毛の束は、正蔵の目の前で血を吐いた子供の形見だな。
その親も死んで、無念の呪いを送り付けてきたのだろう。
昨日まで想像してたのと全然違いました。
すいません。
m(__)m
正蔵はもうちょっとカッコいいイメージかと思ってたのに、とことん情けないキャラでした。
昔、片岡鶴太郎が、モノマネしてた頃の近藤正臣のイメージの影響だな。
「コンドーです!」
(^_^;)
懲りずに先読みを続けてみます。
悠太郎の見たものは、自殺しようとしている正蔵の姿だ。
悠太郎は正蔵を助けて、
「逃げんなや!」
と叫ぶ。
確か先週末の予告にチラッと流れたシーンがそれだ。
一命を取りとめた正蔵は、鉱毒問題と正面から向き合い、被害を無くす為の活動を始める。
銅から鉄へと変わりつつある時代だ。
なんとかなる。
銅の鉱山は廃止され、遅ればせながら、村は回復の兆しを見せる。
正蔵は罪滅ぼしの為に、四国八十八箇所のお遍路の旅に出る。
これでどうだ!
・・・ん?
そう言えば、昔、社会科で『足尾銅山鉱毒事件』というのを習ったことを思い出したぞ。
<ウィキペディアより>
1890年代より栃木の政治家であった田中正造が中心となり国に問題提起するものの、精錬所は1980年代まで稼働し続け、2011年に発生した東北地方太平洋沖地震の影響で渡良瀬川下流から基準値を超える鉛が検出されるなど、21世紀となった現在でも影響が残っている。
ゲゲッ!
全然解決してねぇじゃん。この問題。
待てよ。
死んだ人って、名前が中田さんだったな。
完全に田中正造を意識しているじゃんか!
<ウィキペディアより>
田中 正造(たなか しょうぞう、天保12年11月3日(1841年12月15日) - 1913年(大正2年)9月4日)
ほほ〜。
田中正造自体は、1913年に死んでる。
つまり、『ごちそうさん』の今より10年前に死んでいる。
あ。
正蔵が仕事を辞めた時だ。
正造が死んで、正蔵が辞めた。
なんだか、こんがらがってきたぞ。
というワケで、後は皆さんで考えてください。
(^_^)/~
ごちそうさん【33話】とリーガル・ハイ【第3話】 スパイラル [連想]
第6週「こんぶねーしょん」(第33回)
今回もめ以子が小姑からイジメられます。
小姑(こじゅうと)の和枝に、昨夜作っておいた料理を捨てられたり、ぬか床を捨てられたり、挙句の果てはめ以子の荷物を実家に送り返されたそうになります。
姑(しゅうとめ)である後妻の静も、和枝ほどひどくは無いですが、わがままに、め以子をお手伝いさんのように扱います。
希子(のりこ)は、め以子に危害は加えませんが、内向的で心に傷を持っていそうです。
悠太郎は、め以子のフォローはしますが、自分も専門のコンクリートではない木造の設計を担当させられたりで余裕がありません。
め以子はとうとう泣き出してしまいました。
<ぬか床(トラ)の大半を捨てられてしまいました。>
今日は、セリフの抜き出しはせずに、連想したことを書きます。
それは、この前見たリーガル・ハイの第3話「顔か?心か?どちらを選ぶ?前代未聞の整形裁判」です。
この話では、依頼人が不細工な男の熊井健悟(塚地武雅)で、美人と結婚するのを人生の目的とし、目的を達成したと思っていたら、実は相手の女性が整形美人だったという話です。
弁護士:古美門研介(堺雅人)は、熊井が『不細工スパイラルからの脱却』を図ろうとしていたと法廷で表現します。
・ブサイクな両親から生まれた子供はブサイクである。
・ブサイクな子供は、幼少期から虐げられ、ブサイクであるが故にモテない。
・モテないので、ブサイクな相手としか結婚できない。
この『負のスパイラル』からの脱却というテーマ。
・・・・・・
小姑の和枝は『出戻り』だ。
おそらく、嫁いだ先で受けた仕打ちを、静やめ以子に向けて何度も繰り返している。
それも、そうする事が正しいと信じて疑わない。
おそらく、め以子の為にやっているのだと本気で考えている。
静も、以前和枝に受けた仕打ちのせいで、め以子に洗濯物のやり直しを命じる。
和枝があれぐらいやっているのだから、私もこれぐらいやっても良いだろうと思っている。
やって当然だと思っている。
私なんて可愛いもんよ。と思っている。
たぶん。
(^_^;)
通常の嫁姑問題は、嫁だった頃に姑から受けたイジメ(教育)を、自分が姑になった時に同じようにくり返す。
これらは全て『負のスパイラル』に巻き込まれていると言って良いい。
通常の嫁姑問題は、まさに『伝統』(家風・味)の継承であり、簡単にはいかないだろうが、実は西門家はめ以子にとっては有利な状況だ。
『伝統』によって正しく育ったハズの和枝が『出戻り』だという事は、要は嫁ぎ先から見ればダメな嫁だったワケだ。
つまり『伝統』が間違っていたからだ。とも言えるし、和枝が『伝統』を引き継げていないからだ。とも言える。
さらに、後妻の静が立場上は母親なのだから、本来は西門家の『伝統』(台所・味)を継いでいるべきなのに、出戻りの和枝が自分の居場所を確保する為に仕切っているので、正しく『伝統』が引き継がれていない。
その為『伝統』自体に陰りが見えている。
つまり、和枝は『伝統』という伝家の宝刀を振りかざしながら、同時に自らの存在がその宝刀をナマクラにしているという非常に不安定な場所に位置している。
そして、不適切な者(和枝)が継承するが為にその存在が危うくなっている『伝統』は、正当な後継者が引き継ぐ事によってのみ安定する。
正当な後継者とは、長男の嫁であるめ以子だ。
つまり、『伝統』など何とも思っていない(?)め以子が引き継ぐことによってのみ、『伝統』が息を吹き返し、強く輝き出すのだ。
「負のスパイラル」から脱却し「正のスパイラル」にシフトするのだ。
それこそが、人が成長するという事であり、成長する為にこそ人は生まれてきたのだ!
・・・意味不明?
(^_^;)
今回もめ以子が小姑からイジメられます。
小姑(こじゅうと)の和枝に、昨夜作っておいた料理を捨てられたり、ぬか床を捨てられたり、挙句の果てはめ以子の荷物を実家に送り返されたそうになります。
姑(しゅうとめ)である後妻の静も、和枝ほどひどくは無いですが、わがままに、め以子をお手伝いさんのように扱います。
希子(のりこ)は、め以子に危害は加えませんが、内向的で心に傷を持っていそうです。
悠太郎は、め以子のフォローはしますが、自分も専門のコンクリートではない木造の設計を担当させられたりで余裕がありません。
め以子はとうとう泣き出してしまいました。
<ぬか床(トラ)の大半を捨てられてしまいました。>
今日は、セリフの抜き出しはせずに、連想したことを書きます。
それは、この前見たリーガル・ハイの第3話「顔か?心か?どちらを選ぶ?前代未聞の整形裁判」です。
この話では、依頼人が不細工な男の熊井健悟(塚地武雅)で、美人と結婚するのを人生の目的とし、目的を達成したと思っていたら、実は相手の女性が整形美人だったという話です。
弁護士:古美門研介(堺雅人)は、熊井が『不細工スパイラルからの脱却』を図ろうとしていたと法廷で表現します。
・ブサイクな両親から生まれた子供はブサイクである。
・ブサイクな子供は、幼少期から虐げられ、ブサイクであるが故にモテない。
・モテないので、ブサイクな相手としか結婚できない。
この『負のスパイラル』からの脱却というテーマ。
・・・・・・
小姑の和枝は『出戻り』だ。
おそらく、嫁いだ先で受けた仕打ちを、静やめ以子に向けて何度も繰り返している。
それも、そうする事が正しいと信じて疑わない。
おそらく、め以子の為にやっているのだと本気で考えている。
静も、以前和枝に受けた仕打ちのせいで、め以子に洗濯物のやり直しを命じる。
和枝があれぐらいやっているのだから、私もこれぐらいやっても良いだろうと思っている。
やって当然だと思っている。
私なんて可愛いもんよ。と思っている。
たぶん。
(^_^;)
通常の嫁姑問題は、嫁だった頃に姑から受けたイジメ(教育)を、自分が姑になった時に同じようにくり返す。
これらは全て『負のスパイラル』に巻き込まれていると言って良いい。
通常の嫁姑問題は、まさに『伝統』(家風・味)の継承であり、簡単にはいかないだろうが、実は西門家はめ以子にとっては有利な状況だ。
『伝統』によって正しく育ったハズの和枝が『出戻り』だという事は、要は嫁ぎ先から見ればダメな嫁だったワケだ。
つまり『伝統』が間違っていたからだ。とも言えるし、和枝が『伝統』を引き継げていないからだ。とも言える。
さらに、後妻の静が立場上は母親なのだから、本来は西門家の『伝統』(台所・味)を継いでいるべきなのに、出戻りの和枝が自分の居場所を確保する為に仕切っているので、正しく『伝統』が引き継がれていない。
その為『伝統』自体に陰りが見えている。
つまり、和枝は『伝統』という伝家の宝刀を振りかざしながら、同時に自らの存在がその宝刀をナマクラにしているという非常に不安定な場所に位置している。
そして、不適切な者(和枝)が継承するが為にその存在が危うくなっている『伝統』は、正当な後継者が引き継ぐ事によってのみ安定する。
正当な後継者とは、長男の嫁であるめ以子だ。
つまり、『伝統』など何とも思っていない(?)め以子が引き継ぐことによってのみ、『伝統』が息を吹き返し、強く輝き出すのだ。
「負のスパイラル」から脱却し「正のスパイラル」にシフトするのだ。
それこそが、人が成長するという事であり、成長する為にこそ人は生まれてきたのだ!
・・・意味不明?
(^_^;)
ごちそうさん 24話 杏は船底恐怖症 [連想]
杏さんは、船底恐怖症だそうです。
『杏のanytime andante』というラジオ番組で、船底恐怖症について語っています。
東宝映画『真夏の方程式』(東野圭吾原作の推理小説。ガリレオシリーズ第6弾:主演:福山雅治)では、川畑成実役の杏さんは素潜りに挑戦していますが、水中から見る船底が恐かったそうです。
ごちそうさんの24話では、め以子役の杏さんが海中に落ちて、西門悠太郎(東出昌大)さんに助けられますが、船底恐怖症は大丈夫だったのでしょうか?
船底以前に、振り袖の着物で水中に落ちるだけでかなり恐そうですよね。
振り袖で泳げる気がしない・・・
(^_^;)
ちなみに、『真夏の方程式』で杏さんの演じる川端成美は、幼少期は豊嶋花ちゃんが演じています。
豊嶋花ちゃんは、ごちそうさんでも杏さんの幼少期を演じています。
似てるんですかね?
<豊嶋花>
http://archive.is/4oZrF
<杏>
似てるような、似てないような・・・
どちらかと言うと、あんまりそうでも無さそうですが・・・
でも、何かご縁があるんでしょうね。
(^^;)
幼少期のめ以子(豊嶋花)ちゃんは、滑舌が悪くて、何を言ってるのかわからないことが何度かありましたが、可愛くて好きでした。
よく、『滑舌が悪い=演技が下手』と言う人がいますが、実際滑舌の悪い人間は実社会にたくさんいるんだから、別に雰囲気が良かったらそれで良いのではないかと思います。
(^_^)
『杏のanytime andante』というラジオ番組で、船底恐怖症について語っています。
東宝映画『真夏の方程式』(東野圭吾原作の推理小説。ガリレオシリーズ第6弾:主演:福山雅治)では、川畑成実役の杏さんは素潜りに挑戦していますが、水中から見る船底が恐かったそうです。
ごちそうさんの24話では、め以子役の杏さんが海中に落ちて、西門悠太郎(東出昌大)さんに助けられますが、船底恐怖症は大丈夫だったのでしょうか?
船底以前に、振り袖の着物で水中に落ちるだけでかなり恐そうですよね。
振り袖で泳げる気がしない・・・
(^_^;)
ちなみに、『真夏の方程式』で杏さんの演じる川端成美は、幼少期は豊嶋花ちゃんが演じています。
豊嶋花ちゃんは、ごちそうさんでも杏さんの幼少期を演じています。
似てるんですかね?
<豊嶋花>
http://archive.is/4oZrF
<杏>
似てるような、似てないような・・・
どちらかと言うと、あんまりそうでも無さそうですが・・・
でも、何かご縁があるんでしょうね。
(^^;)
幼少期のめ以子(豊嶋花)ちゃんは、滑舌が悪くて、何を言ってるのかわからないことが何度かありましたが、可愛くて好きでした。
よく、『滑舌が悪い=演技が下手』と言う人がいますが、実際滑舌の悪い人間は実社会にたくさんいるんだから、別に雰囲気が良かったらそれで良いのではないかと思います。
(^_^)